2014年2月8日土曜日

「嘔吐」ではなく「吐き気」

駅のホームに男がいる。ビニール袋にはどっかで拾ってきたみたいな雑誌が入っている。 フララフラして、目の焦点もあっていない。ときどき怒鳴り散らしている、かもしれないけどヘッドフォンで音楽を聴いているのでわからない。 こいつがホームに飛び込んで肉塊になってくれれば、と思う。 こいつがおれの心臓にナイフを突き刺してくれれば、と思う。 どちらも経験をしたことがないので、その新鮮さに感動したいな、なんて一瞬思った。 「あ、こんなことが本当に起こるんだな。自分はフィクションをたくさん読んだけど、それらに負けないくらい、世界を味わっている」 みたいな感覚がほしいというか。 堂々と、胸を張って人に迷惑をかけたり、平穏を壊していることへの義憤みたいなものも、こいつを線路に突き落とすエネルギーになっていたかもしれない。 そういう観点でものを考えられることに失望するし、救いも見出している。 という夢を見ました。いや、これは今日本当にあったことなんだけど。 今まででの人生で一番好きな本は、サルトルの「嘔吐」です。 レコードを聴いているときの文章が、本当にいい。 滅びるべくして滅びるイントロに続いて、死ぬべくして死んでいく歌が始まる。 そんな完璧な時間は、音楽の中だけに存在する。 ある時間の一点から、必然性を持って過去の色々が紐づいていく、 みたいな、小説のような、「逸話」のような、「経験」と呼べるような、 そんな風に生きたい、という気持ちはすごくわかるけど、実際は現在に放り投げられて、ただ現存しているだけ、みたいな感じなんでしょうかね。 私のこの日常を題材として、歌が作れたなら、どんなに幸福だろう、という趣旨の文があるのだけれども、まさしくそういう快感のために自分は曲を作ったり歌ったりしているんだなって思う。 小説のように生きたいってことだろうな。すべての物事に意味があって。それぞれでつらい思いをしたりして、一人の人間ができていく。その過程、そのドキュメンタリーを見ているように生きていく。すべてに必然性がある。あの時苦しんでいてよかった、ありがとうございます、みたいな。結局そういう風になってほしいと思っているんだろうな。 でも、んなことはないよねーていうのが言いたいことです。飛行機はただ落ちるし、地震はただ起きるし、宝くじにはただ当たる。放り投げられているだけ。 これが実存ってことなんでしょうか????どうなんでしょうね???? 20140208 23:38 ミスターノバディという映画がすごく好き。ジャコヴァンドルマル監督。

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